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※長文のため折畳







 私、藤宮陽香は学校の図書室が好きだ。
 貸出カウンターから見る図書館は不思議と特別に見えたし、カウンターに座ると、まるで自分がこの図書室の主になったみたいで、書架を見上げながら本を探す人、座って読書をしている人、ノートと睨めっこしながら自習している人、色んな人をカウンター越しに見ているのは楽しかった。
 小学四年生のときに初めて図書委員になって当番で貸出カウンターに入ってから私は貸出カウンターの中から見る図書室の魅力にとりつかれてしまい、それ以来ずっと図書委員をしている。貸出当番を面倒くさいと嫌がる人も多いけど、私は、それはもったいないと思っていた。特別本が好きって訳では無かったけど、しんとした図書室の雰囲気が好きだった。高校二年生になった今ももちろん図書委員だ。
 ただ、高校の図書館には常駐司書がいたので貸出当番が無いと聞いてがっくりとしてしまった。それでも、諦めきれずに常駐司書の飯田さんに頼んで放課後の貸出カウンターに居座らせてもらっている。
 今も、返却にきた女子生徒から本を受け取って、バーコードを読み込んで、はいオーケーです、なんて笑ってみせた。最初のうちは訝しんで見られたり、図書委員の仕事にないよねとか聞かれたりしたけど、二年目にもなってしまえば暗黙の了解といった感じで疑問をぶつけてくる人はほとんどいなかった。例え文句を言われても飯田さんがうまく取り繕ってくれた。
 当の飯田さんは、堂々とサボれるなんて冗談を言ってカウンターの奥の部屋に引っ込んでいる。きっと私にはよくわからない司書の仕事をしているのだろう。もしかすると本当にサボっているかもしれないけれど。
 飯田さんはいい人だけど冗談が多いせいでいまいち真意が読取りにくい。私が、このポジションを手に入れるためにお願いしにいったときも軽口で承諾されてしまって拍子抜けしてしまった。細い楕円の眼鏡にピシッとスーツを着込み、眼鏡を上げながら静かになさいと注意でもしそうな印象の外見だったのにすんなりオーケーが出るなんて思いもよらなかった。しかもそのあと、返却された本の片付けと試験や学校行事を優先することを条件として出し、お茶目にウィンクなんてするんだから卑怯だ。お堅い出来る女性のイメージは一気に崩れ去った。それと同時に私の中で憧れの女性ランキングの上位にノミネートもされたけれど。
 さっきの女子生徒のあとから返却も貸出も来ないので頬杖をついてぼんやりと図書館の中を見ていると見覚えのある男子生徒が目に入った。
 また来ている。名前はおろか、学科、学年、クラス、何一つ知らないけれど、いつのころからか毎日見かけるようになった。
 気になったのは毎日きているからという訳ではなく、あまり読書に親しむタイプには見えないという理由だった。別に髪を染めているとかピアスを開けているとか不良っぽいとかそんなことじゃなくて、インドアというよりアウトドアが似合いそうという完璧私の偏見からそう思っているだけだ。
 髪は耳にかかるくらいの長さで、日焼けしているのか元々なのか多少色黒の肌が私の中で余計にアウトドアっぽく見せているんだと思う。身長は座った状態だから正確には分からないけど、一五五センチの私より頭一つ分くらい大きい気がする。目を細めているからか、目つきが悪く感じた。でも、へらへら笑いながら本を読んでいる方が逆に不気味だと思う。
 閲覧スペースでいつも背を丸め、机の上に開いた本を睨むようにして読んでいる。時折、眉間に皺が寄って難しそうな表情をしているから、最初は課題のためか、罰ゲームか何かで渋々来ているんじゃないかと思っていたくらいだ。
 話してみたいけど、近寄りがたいオーラが出ている気がするし、何より読んでいくだけで借りていくことは今まで一度も無かったから顔見知りですらない。話す切掛けも無かった。カウンターを利用してくれれば少しは話し掛け易くなると思うのに。
 これだけの本好きなら家にも本がたくさんあるのかもしれないが、それなら尚更さっさと帰って読むんじゃないだろうか。それとも私にはわからない事情があるのか。
 色々想像ばかりが膨らむ。

「なあにー、溜息吐くと幸せが逃げるって陽香ちゃんは知らないのカナー?」
「ひゃ、飯田さん。びっくりさせないで下さいよ」

 無意識のうちに溜息を吐いていたらしくいつの間にか奥の部屋から出てきていた飯田さんに頬をつつかれた。ぼんやりしている私も悪いのかもしれないけど、あまり驚かせるような行動は取らないで欲しい。でも、ごめんと悪びれもせず謝る飯田さんは悪戯っ子みたいで可愛かった。

「仕事終わったんですか?」
「まだ。お茶飲もうと思ったら紅茶のティーバッグが切れてたのすっかり忘れてて、今から購買にね。陽香ちゃんもいる?」

 お姉さん奢っちゃうわよーという言葉に素直に頷いておく。飯田さんを見送って彼はどうしているだろうと視線を移すとそこに彼の姿はもう無かった。二人で話している間に帰ってしまったのだろう。時計を見れば、閉館まであと三〇分だった。そういえば、彼が閉館までいたことはない。
 返却された本を書架に戻し、戸締りの確認をしていると飯田さんが戻ってきた。五〇〇ミリリットルのペットボトルの紅茶と飴を一つ手渡される。

「今日は帰ってもいいよ。私はまだ仕事が残ってるから残るけど」

 私はカウンターの中に置いたままのカバンを持って飯田さんに軽く挨拶をしてから図書館を出た。

 ◇  ◇  ◇

 今日も彼は来ていた。いつも同じ場所に座っている。何を読んでいるのかは分からないが昨日までとは違う本を読んでいるのは本の厚さや開いているページが最初の方だということで分かった。観察していると、大体三、四日くらいで本が変わっているようだ。私には読むペースが速いのか遅いのかよく分からないけど、毎日図書館で本を読んでいるのを見かける度に今までどのくらいの冊数を読んでいるのかが気になった。
 一週間で約一冊とすると、一ヶ月で少なくとも四冊、十二ヶ月だと……。
 考えていると人の気配を感じて視線を正面に移す。カウンターにやって来たのは同じクラスの稲葉冴子だった。彼女とは中学校も同じだったからかクラスでも結構喋っている。とはいえ、彼女は交友関係が広いから他の人ともよく喋っていた。
 よくやるねぇと言いながら差し出された本は今話題になっているファンタジー小説の上巻だった。そういえば、前に貸出手続きをしたような記憶がある。バーコードを読込むと返却期限が昨日だった。

「返却期限が昨日ですので、ペナルティで一週間貸出禁止になります」
「やっぱりかぁ。ねえ陽香ー、友達のよしみで一日くらい見逃してくれない? お願い」

 この通りと手を合わせて頭を下げられるけど、友達だからって見逃せるものじゃない。一日とはいえ延滞なのだ。ダメだと言うとむくれた顔でケチと言われた。

「ダメ?」
「ダメ」
「どうしても?」
「ダメ」
「絶対?」
「ダメ」
「ダメったら?」
「ダメ」

 何度も押し問答を繰り返す。ようやく諦めたのか、冴はあからさまに大きな溜息を吐き閲覧スペースを見て、あっと小さく声をあげた。

「八塚君じゃん、代わりに借りてくれないかなー?」
「八塚君?」

 冴の視線はぴったりと彼に向いていた。閲覧スペースには彼以外見当たらないから当然といえば当然だけど。相変わらず難しい顔で読書中だ。
 私の疑問系の言葉に冴は視線だけでこっちを見る。

「そ、八塚まひろ真弘っていって、テニス部期待の新人。だったんだけど、入部してちょっとしたら辞めちゃったんだよね、勿体無い。学年は私たちと同じ二年生」
「辞めた? 何で?」

 気になって訊ねると冴は眉をひそめ、カウンターに乗り出し内緒話でもするみたいに顔を近づけてきた。それにならって、私も冴の口元に耳を近づけた。耳元にかかる息が少しくすぐったい。

「怪我のせいだとか先輩とのそりが合わなかったとか言われてる。けど、噂で聞いただけで本人から聞いたわけじゃないから私にも真相は分かんない。彼のことも新聞部で取材して知ってるだけだしね。陽香、八塚君に興味あるの?」

 ぱっと顔を離して口の端を釣り上げて笑いながら聞いてくる冴に少し怯みながら悩んで、曖昧に頷いた。
 興味があるかないかで問われればあるわけだけど、多分冴の期待している興味とは違う気がする。それでも、頷いたことに満足したのかさらに不敵に笑った。大変不愉快な笑顔だ。
 新聞部の次期部長候補だからというわけではないのだろうけど、冴は何にでも興味を示しすぐに首をつっこもうとする。多分、さっき返却された本も新聞部発行から発行されている学校新聞の特集記事の資料といったところだろう。新聞記事のために話題の本まで読むというのは正直頭が下がる。私は、そうやって何にでも興味を示すなんて出来ないし、記事のために本を読むなんて出来そうもない。精々、読んだ人に感想を聞いて、もし興味を持てたら読むくらいだろう。本人に言っても野次馬根性が強いだけだと笑われてしまいそうだけど。
 気がつくと冴の姿が目の前から消えていた。少し視線を動かすと八塚君に話し掛けているところだった。代わりに本を借りてとでも交渉しているんだろう。会話は距離と外から聞こえてくる運動部の掛け声でかき消されて聞こえてこない。話している八塚君から近寄りがたいオーラは感じられず、冴と笑顔で話している。人懐っこい笑顔や雰囲気は別人なんじゃないかと思えたくらいだ。いつも読書中の彼しか見ていないから、冴と話している八塚君はとても新鮮に感じた。あんな笑顔を引き出せるのは冴の人懐っこさのなせる技だろうか。冴のそういうところは正直羨ましかった。
 すぐに交渉は成立したのか冴は八塚君に頭を下げ、鼻歌でも歌っていそうなくらい軽い足取りで目的の書架へと向かっていった。本に集中しなおした八塚君はやっぱりいつもの近寄りがたい雰囲気をまとっている。一瞬、こんな風に感じているのはもしかすると自分だけなんじゃないかと思えた。本当はさっきみたいな彼が普通で、別に人を寄せ付けない雰囲気なんて出していなくて、私が勝手に感じているだけなのかもしれない。
 書架からカウンターに向かって歩いてくる冴は嬉しそうに本を抱えている。ここが図書館でなかったらスキップしていたかもしれない。続きを読むのが楽しみなのか、それとも早く読み終わって記事を書きたいのか、恐らく両方だろう。
 本と一緒に渡された八塚真弘の学生証のバーコードを読取る。当然延滞ペナルティなどはついていない。貸出記録や返却記録もない。
 そういえば、他人の学生証を使うのは違反じゃなかっただろうかと思ったけど、今更だった。そもそも、他人の学生証を使って貸出申請に来るのがイレギュラーなのだ。貸出処理をして本と学生証を冴に渡す。

「貸出期間は二週間です。今度はちゃんと守ってよ、自分の名義じゃないんだし」
「はーい。じゃあ、八塚君に学生証返して行くね。陽香、また明日」

 私の返事も待たないで背を向けた冴にまた明日と声をかけて小さく手を振った。それを聞いて冴も少しだけ振り向いてにっこりと笑った。
 冴と八塚君はまた楽しそうに話している。私も話し掛けたいという気持ちが浮かんできた。でも、冴みたいに楽しそうに自然に話し掛ける方法が分からなかった。
 二人の笑顔を見ていると自分だけ取り残されたような気がした。

 ◇  ◇  ◇

 相変わらずカウンターに居座りながら、手元のプリントに視線を落とした。
 昼休みにあった図書委員会の集会で配られた三ヶ月に一度の「おすすめ図書紹介」のプリントだ。正直、毎回これには悩まされている。図書委員とはいえあまり本を読まない私にとって、これはかなりの難題だ。
 そう思うなら普段から読めばいいと思うのだけど、どの本が面白いとかよく分からなくてなかなか手が出せない。私みたいな人が結構いるから図書委員のおすすめ図書を紹介するんだろうけど、まさに本末転倒だ。
 それに私は読書感想文の類は苦手だったからそういうこともあって、これだけは図書委員で嫌だと思うことだった。

「ん、何見てるの? あぁ、図書委員のアレね。何紹介するか決まってる?」

 飯田さんが私の肩越しにプリントを覗きこんできた。素直に悩んでいることを告げると飯田さんはニヤリと笑った。冴もそうだけど、飯田さんもこの笑顔をするときは本人にとっての名案が浮かんだときだ。それを受ける相手にとっては迷惑なことも少なくない。

「紹介する本悩んでるなら相談するのに丁度いい相手がいるじゃない」

 ほらと顎でさされた先では八塚君が読書中だ。なるほど、いつも本を読んでいる彼なら面白い本を教えてくれるかもしれない。人から勧められた本を紹介するのは少し邪道な気もするが、八塚君の紹介してくれる本は読んでみたかった。ついでに、話し掛けるチャンスでもあった。
 問題は初対面の私の頼みを八塚君が聞いてくれるかどうかということだけど、当って砕けろだ。砕けては元も子もないのだけど。

「頑張れ」

 飯田さんに背中を押されてカウンターを出た。
 読書中の八塚君はやっぱり近寄りがたい。しかし、それに挫けてはいけない。カウンターから八塚君の座っているところまでは五メートルくらい離れている。ゆっくりと近付いていく、まだ気付かれていない。
 ページを捲った八塚君に驚いて足が止まった。手が少し動いただけなのに何をそんなに驚いているんだろう。自分に呆れてまたゆっくりと近付いていく。どうして緊張すると抜き足差し足とまではいかなくても歩くことにも慎重になってしまうのだろう。
 汗で湿った手を握り締める。口の中が渇いてうまく声が出るか不安になった。どもるかもしれない、掠れた声しか出ないかもしれない。唾を飲み込んで隣に立った。ごくりと唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。それなのに八塚君はまだ私に気付いていないみたいだ。それだけ集中して読んでいるのか。

「ちょっと、いい?」

 声は出た。最初が少し掠れて聞き取り辛かったかもしれないけど。
 文字を追っていた視線がじろりと私を見た。見下ろしているのは私なのに一歩後さりそうになった。眉間に皺が寄っている。読書中に話し掛けられたのが不愉快なのか、初対面で話し掛けてきた私を不審に思っているのかもしれない。その視線に話し掛けなければよかったとちょっと後悔した。沈黙が続く中、たくさんの不安を吐き出すようにゆっくり息を吐く。心臓がいつもより煩くて八塚君にも聞こえているんじゃないかと心配になった。声を掛けたのはいいけど今になってどう切り出したらいいのか分からなくなって言葉が続かない。睨むような視線に急かされ、何か喋らなきゃと思えば思うほど頭は真っ白で、自分が何をしに来たのかも分からなくなる。

「とりあえず、座ったら?」
「う、うん」

 促されるままに引かれた椅子に座る。お願いをしにきたのは私のはずなのに気を使わせてしまって気まずい。隣からぱたんと本を閉じる音がした、が何も言ってこない。私は何を期待しているんだろう、話し掛けてもらえれば切り出しやすいなんて自分勝手すぎる。何も話さない私をきっと変に思っている。

「「あの」」

 思い切って話し掛けたら、ほぼ同時に声が重なった。お互い驚いた表情で目を合わせたまま固まっていたが、向こうが先にふきだして重く停滞していた雰囲気は少し軽くなった。図書館だということを気にしてだろう、顔を背け、片手で口を抑え必死に声を殺している。それでも抑えきれない笑い声とともに肩が上下に揺れている。
 さっきより緊張が緩んで、今なら言葉が出てくるような妙な自信がある。

「八塚君いつも図書館にいるよね」

 切り出してみたらたら、考えていた言葉と全然違う言葉が出た。八塚君は驚いた表情でまじまじと私を見ている。少しだけ、目が潤んでいるのは笑っていた名残だろう。

「あ、ごめん。この前冴……新聞部の稲葉さんに聞いたの。私は藤宮陽香っていうんだけど、いつも貸出カウンターにいるの、知ってる?」
「あー、稲葉さんか。カウンターにいるのも知ってる。図書館利用する奴には有名だよ、図書委員の藤宮さんって」

 得意げに話す八塚君に、今度は私が驚く番だった。有名だと自覚はなかったけど、確かにカウンターに座ってる生徒というだけで結構インパクトがあるのだろう。そう考えると大胆な行動だったのかもしれない。今更だけど気恥ずかしくてウソと聞き返したら、冗談だけど、と返ってきた。もしかすると、私の緊張を少しでも解そうとしてくれているのかもしれない。今まで少しでも怖いと思っていたのを反省した。

「えーと、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

 ようやく本題を切り出すと八塚君は私からの頼みごとに検討がつかないようで首を傾げた。

「頼み?」
「うん、図書委員のおすすめ図書紹介ってあるじゃない、今までは何とか昔に読んだのとか思い出して書いてたんだけどそのストックも無くなっちゃって。図書委員の癖に漫画は読むけど殆ど小説とかって読まないからどれが面白いか分かんないし、面白い本があったら教えて欲しいなーって」
「おすすめかぁ、そうだなぁ……藤宮さんって普段どんな漫画読んでる? ファンタジーとか恋愛ものとか」

 質問に頭を捻る。ジャンルなんてあまり気にしたことがなかったけど、少女漫画ばっかりだから恋愛ものでいいんだろうか。それを伝えると、八塚君は鞄から紙とペンを取り出して手早く何かを書き込んでいく。なんだろうとじっと見ていると書き終わったのか紙を渡された。書いてあるのは多分、本のタイトルが三つ。綺麗な字とはいえないけど、読めないわけでもない。

「それおすすめ。活字に慣れてないみたいだったから読みやすいの選んでみたつもり」
「ありがとう! 八塚君っていい人だね、早速探してみる」

 椅子から立ち上がって改めてもう一度お礼を言って頭を下げた。そんな気にしなくていいと笑われたけど、まだまだ感謝し足りないくらいだ。どの辺りにあるか教えてもらって早速書架に向かう。本を探しに行くのにこんなにワクワクしたのは初めてだった。
 初めはどうなるかと思ったけど、思い切って話し掛けてよかった。少し話しただけだけど、見ているだけのときよりかなり印象が変わった。一度、八塚君の方を振り返ると既に本の世界に入り込んでいるみたいだった。細められた目も眉間の皺も今は気にならなかった。
 本は三冊とも同じような場所にあってすんなりと見つかった。どれにしようか悩んで、結局一番上に書いてあるタイトルを選んだ。
 カウンターで自分の学生証を読込み、貸出処理を済ませる。内容が気になりながらも本を鞄にしまった。

 ◇  ◇  ◇

「ふあ……ぁ」

 朝から何度目になるかの欠伸をして図書館の扉に手をかけた。
 昨日は借りた本を読もうとベッドの上で寝そべりながら開いたら、予想以上の面白さで時間を忘れて読み耽ってしまった。いつもだったら瞼が落ちてきて気付いたら朝でしたということになるのに、昨日は一冊読み終わって時間を確認したら深夜二時を回っていたくらいだ。
 内容はよくある恋愛小説だった。ページを捲るたび展開が気になって、一文字一文字を追っていくだけでドキドキしたのは久し振りで、時間があっという間に過ぎるくらい集中していた。眠気で授業中もうとうとして何度か先生に注意されたけど、昨日勧めてもらった他の本が早く読んでみたくて先生の小言も気にならなかった。
 休み時間に話し掛けてきた冴にも機嫌が良いけど何かあったのかと聞かれて、ありのままに話したら陽香が本に夢中になるなんてと相当驚いていたみたいだった。自分でも驚いたと笑うと冴も笑っていた。
 図書館に入ると風に乗って甘い香りがした。お菓子や果物の甘さとは違う。やわらかで濃厚な、どこかで嗅いだことがある匂いなのになんだったか思い出せない。

「こんにちは、返却お願いしまーす」
「はい、承ります」

 カウンターに座っている飯田さんに本を差し出すと、わざとらしく丁寧に対応してくれた。いつもと逆の立場というのは少しくすぐったい。
 借りる本を取りに行くついでにその本も書架に戻してくると返却手続きを済ませた本を受け取って目的の場所に向かう。
 ふと、開いた窓の外を見て匂いのもとがわかった。裏庭の金木犀がオレンジの小さな花を咲かせている。カウンターが裏庭を背にした形で作ってあるから、そこから裏庭は死角になって見えないのだ。一本の金木犀は花を咲かせたときものすごく存在感を発揮する。去年も確かこんなことがあったのを思い出した。あの時、私はその花の名前を知らなかったから飯田さんに何の匂いか聞いたんだった。飯田さんは金木犀の香りが好きで毎年花を咲かせると換気ついでに窓を開け、図書館を金木犀の香りでいっぱいにしていると言っていた。毎年一人でもいいから金木犀の存在に気づいてほしいという思いも込めているらしい。去年の一人は私だったわけだ。あのときの飯田さんの口振りを思い出すと、換気がついでみたいだった。
 花の香りでいっぱいの図書館はいつもの張り詰めた雰囲気とは違い、少しやわらかな雰囲気をはらんでいる。飯田さんが窓を開けておく理由が分かる気がする。
 書架に本を戻し、新たに一冊を手に取ってカウンターに戻る前に八塚君のところへ向かった。いつも感じていた近寄りがたい雰囲気がいつもより感じられないのは金木犀の香りのおかげなのか、話してみて私の中で印象が変わったからか。どちらにしても話しやすくなったのは喜ばしいことだ。

「眉間に皺寄ってるよ」

 声を掛けると顔を上げた八塚君が眉間の皺を人差し指と中指で広げた。今度は額に皺が寄っている。

「もしかして視力下がったかな?」
「見づらいなら眼鏡買ったら。そのままにしておくとずーっと皺寄ったままになるよ」
「それは嫌だな」

 八塚君は目を閉じて、ツボを押すようにこめかみを中指でぐりぐりと押した。本人は気付いていないだろうけど、また眉間に皺が寄っている。噴出しそうになるのを必死にこらえた。そして、目を開き、手を止めたそのままの体勢でうーんと唸った。

「近くの席の奴にも言われるんだよ、それ。授業中も相当目つき悪いらしいし、そろそろ観念して眼鏡デビューかぁ」

 何がそんなに嫌なのか、不満そうに言って机の上にへたり込んだ。八塚君の眼鏡姿を想像しようとして、うまく思い浮かべられなくてやめた。でも、眼鏡をかけるならどんな眼鏡にするのかは興味があった。ぐるぐる渦巻きの瓶底眼鏡、は流石にないか。

「昨日はありがとう、つい夢中になって一晩で読んじゃった。おかげで今日はずっと眠かったよ」

 話を変えると八塚君は嬉しそうに笑った。

「どういたしまして、遠回しに文句言われてる気もするけど気付かなかったことにしておく」
「うん、そうして。昨日教えてもらった他の本も読んでみようと思うんだけど、それ読み終わったらまたおすすめ教えてもらえる?」
「もちろん、喜んで。読書の魅力にとりつかれた?」

 目が輝いたように見えた八塚君に首を傾げてどうだろうと返した。えーと言いながらも嬉しそうなのは、私が冗談で言っているのが分かっているからだろう。

「でも、八塚君のおすすめならハマりそう」

 言ってからちょっと恥ずかしかったかもと後悔した。けど、八塚君が次は何を勧めようかと考えてるのを見たらそんなことはどうでもよく思えた。私も次はどんな本を勧めてくれるのかと思うと今からドキドキした。
 今度はミステリーとか読んでみない。俺が今読んでるのもミステリーなんだ。厳選してまたタイトル教えるよ。
 興奮しているのか少し早口だ。私だけが楽しみにしているわけじゃなくて、八塚君も楽しんでくれているのが分かって嬉しい。別に他に人がいるわけじゃないのに出来るだけ小さな声で話しているのも内緒話みたいで楽しさを増した。
 カウンターに戻る前に一つ聞いてみたいことがあったのを思い出した。聞いてもいいのか悩んだけど、触れられたくないことなら八塚君はうまくかわしてくれそうな気がして思い切って聞いてみた。聞いてみたらなんでもない理由かもしれない。

「ねぇ、どうしていっつも図書館で読んでるの? 家で読んだ方が落ち着かない?」

 聞かれた八塚君の表情は微妙だった。困ったような笑顔が、地雷を匂わせて不安を煽る。

「俺さ、弟が二人いるんだよ。中一と小五なんだけど、家だとそいつらが煩くて、集中して読めないんだよ。一人部屋だったら家でもいいんだけどさー」

 失礼にもなんだと思ってしまった。あと、地雷じゃなかったことにも安心した。無意識のうちに頬が緩んでいたのか、八塚君は私の顔を見て笑うなよと顔をしかめた。ごめんと謝っても顔は緩んだままで、八塚君にそっぽを向かれてしまった。その様子が子どもっぽくて小さく声を出して笑ってしまう。私の笑い声につられたのか少しこっちを見た八塚君は呆れたように笑っていた。
 ざわっと葉の擦れる音がして一瞬甘い香りが濃厚になった。

「そういえば、今日いい匂いするけど、何の匂い?」
「金木犀だよ。ほら、あれ」

 私が裏庭の方を指差すと八塚君の視線がそれを辿って金木犀の木を見る。小さく風が吹いたのか葉が小さく揺れた。感嘆をもらす八塚君に少しだけ優越感に浸る。私だって去年、飯田さんに教えてもらったのに現金な話だ。

「あれが金木犀なんだ、名前は知ってたけど、へー」
「毎年九月の末から十月の初めの間に一斉に咲くんだって」

 飯田さんの受け売りだ。去年この話をした飯田さんも同じく友達の受け売りだと言っていた。私もそれに倣って受け売りだけど、と付け加えた。なんだか不思議な感じだ。いつか八塚君もこの話を誰かにする日が来るのだろうか。

「見た目地味だけど、すごい存在感。藤宮さんみたい」
「私?」

 八塚君は金木犀を見たまま何気無い感じで言った。意味は分からなかったけど、八塚君には私がどういう風に見えているのだろう。
 言葉を探しているのか八塚君は顎に手を当て、口をヘの字にして斜め上の方を見ている。

「こうやって話してると普通だけど、貸出カウンターに座ってると図書館の番人みたいで存在感を発揮する、みたいな」

 図書館の番人という言葉が私の思っていた図書委員と似ていてしばらく瞬きを忘れて八塚君を見ていた。視線を感じたのかこっちを見た八塚君が意味分かんないよなと笑いながら言った。目が合うと少し恥ずかしくなった。

「金木犀殆ど関係なくない?」
「言ってから気付いた」

 照れ隠しの会話でようやく普通に笑えるようになった。
 八塚君の貴重な読書時間を削ってしまっては悪いし、そろそろカウンターに戻ることにした。私も今日はカウンターで読書に勤しむつもりだったし。
 カウンターに戻ると私も学生時代に戻りたいと冷やかしなのか願望なのか判別のつけづらい呟きを残して飯田さんは奥の部屋に入っていった。八塚君の読書姿を少し眺めてから私も本を開いた。

 ◇  ◇  ◇

 今日、図書館に入って一番に目に飛び込んできたのはカウンターでうな垂れている飯田さんだった。私が溜息を吐いていると、幸せが逃げるわよと注意するくせに今日の飯田さんは溜息の出血大サービス中だ。金木犀が咲いてからここ数日、かなり浮かれていたのに一変したのが気にかかる。

「どうかしたんですか?」

 声を掛けると飯田さんは力なく笑った。直後、また一つ溜息を溢したけど。

「大したことじゃないの、もう雨なのかと思っただけ」

 今日の天気は朝からずっと雨だ。教室ではそれほど気にならなかったけど、静かな図書館では雨音が大きく聞こえる。
 雨だから落ち込む理由というのが分からなかった。確かに雨はちょっと憂鬱な気分になるけどそれほど落ち込む理由にはならないと思う。
 首を傾げていると飯田さんが起き上がった。

「金木犀って小さい花じゃない、だから雨とか降るとすぐ散っちゃうの。だからもう終わりか、やだなーって思ってただけ。ね、大したことじゃないでしょ」
「そういうことだったんですか。確かにそれはちょっと寂しいかも」

 昨日までしていた甘い香りを思い出すと物足りないような気がした。今の飯田さんはきっと心にぽっかり穴が開いてしまった状態なのだろう。
 両手で頬を二、三度軽く叩いて、よしと言って飯田さんは私に向かって手を出した。何だろうとその手をじっと見る。

「ほら、本。読み終わったやつでしょ」
「あ、はい、お願いします」

 慌てて本を渡すとさっきの落ち込みようが嘘のように普通に返却処理をして、また私にそれを渡してくれた。さっき、よしと言ったときに気持ちを切り替えたみたいだ。あまりにも簡単で私の方がついていけていない。返却口でぼんやりしないと注意されてようやく動けるようになった。書架に戻してくると言ってその場をあとにした。


「司書さん、今日何かあった?」

 本を書架に戻してから、前にお願いしておいた次のおすすめの本を聞きに来たら、八塚君は用意していたメモを私に渡して、そう聞いてきた。八塚君から飯田さんの話題が出たのに驚いた。
 図書館の入り口から閲覧スペースまでは必ずカウンターの前を通らなければいけないし、それに八塚君はいつも私より先に図書館に来ている。しかも毎日だ。飯田さんの露骨な変化に気付いても不思議なことはない。聞き方も心配しているというよりは、ただ気になっているだけという口振りで別におかしな質問というわけでもない。
どうしてと聞けば、何となくと返してきた。

「この雨で金木犀が散っちゃうのが寂しいんだって」

 寂しいと言ったのは私だったけど飯田さんも同じ気持ちだっただろうと思ってそう答えた。八塚君も納得したみたいでそっかと言ってそれ以上は何も聞いてこなかった。でも、視線はカウンターで働く飯田さんの方を向いている。今はいつもの飯田さんだ。
 雨だからか、今日はいつもより図書館の利用者が多い。貸し出しなのか返却なのか分からないけどカウンターには三人並んでいるし、閲覧スペースはいつも八塚君以外殆ど誰もいないのに今日は真ん中辺りに男子が五人集まってノートや教科書を広げている。書架の方にもちらほら人がいるみたいだ。何となく図書館に行きたくなる雨の日の魔力だと誰かが言っていたのを思い出した。実際は、外でやる部活は雨で休みになることが多いからというのが大きな理由じゃないかと私は思っている。

「雨降ると何でか図書館利用者増えるんだよな」
「そうだね、ちょっと変な感じ」
「藤宮さんは人のいない図書館が好き?」

 好奇心に満ちた上目遣いで聞かれて少しドキッとした。首を横に振るのが憚れて首を傾げる。八塚君はその反応が以外だったのか同じように首を傾げた。
 こういう疎らだけど何人か人がいる図書館も好きだけど、閲覧席には八塚君がいてカウンターには私、奥の部屋には飯田さんという静かな図書館も落ち着く。どっちがいいかなんて私には選べない。どっちにもそれぞれよさがある。

「おやー、お二人さんいつのまに仲良くなったのかな?」

 驚いて声のした方を見ると冴がひらひらと手を振りながら近寄ってきた。恐らくこの前借りていった本を返しに来たら私と八塚君が一緒にいるのを見つけて寄って来たといったところだろう。

「いつのまだろう」

 冷やかし混じりの言葉に八塚君は笑いながら言って私に目配せしてきた。一緒になって、ねーと同意した。二人で視線を合わせて笑う。
 冴はそのやり取りを見て目を丸くしたかと思うと、いきなり私たちに生暖かい視線を向けて二、三度頷いた。

「そっかそっか、私はお邪魔虫みたいだから早々に退散しましょうか」

 言うが早いか、冴はそれだけ言ってふふふーなんて笑いながら行ってしまった。

「何だったんだろう?」
「さあ?」

 苦笑しながら肩を竦める八塚君に私も首を傾げた。
 冴といえば、初めて八塚君のことを教えてもらったときにテニス部がどうとか言っていたのを思い出した。もうそろそろお互い読書タイムに入るところだけどちょっと聞いてみたかった。手元の本をぱらぱらと捲り始めた八塚君に軽い感じで声を掛ける。

「ねえ、テニス部だったって聞いたんだけど、本当?」
「それも稲葉さん情報? 個人情報漏洩しすぎじゃない? 別に隠してるわけじゃないからいいけどさ。うん、ちょっとだけテニス部だった」

 全くと言いながら笑っているのを見るとこれも周りが気にしているだけで、本人は気にしていないくらいの話のようだ。

「じゃあ、もうテニスはしてないの?」
「いや、休日に時々打ちに行ってるよ。別に部活じゃないとテニスできないってわけじゃないし、部活も中学からの流れで入っただけだったから」
「そっかー」

 何で辞めたかっていうのは聞かなかった。聞かない方がいいと思った。そこに触れないのは触れて欲しくないからなんだと思う。それに、どうして辞めたかよりもまだ続けているってことが分かればいいと思った。

「藤宮さんは? 部活入ってないの?」

 今度はこっちからと言わんばかりに聞き返された。小学校と中学校では強制だったから適当に楽そうな文化部に入っていたけど高校は自由だったから入る気すらなかった。ある意味、図書館にいるのが私の部活と言ってもいいだろう。

「図書館部、っていうのはどう?」

 冗談で言ってみたら、ああ、いいな、それと納得されてしまった。しかも、悪ノリでそれなら俺は読書部かなと言われた。八塚君が読書部ならカウンターで読書するようになった私は読書部も兼部していることになるんじゃないだろうか。

「さて、じゃあお互い部活に勤しもうか」
「え? あ、ああ、うん」

 時計を見ると二〇分くらい話していたようだ。そういえば、私は読む本もまだ取りに行ってはいない。じゃあと軽く手を上げると八塚君も手を上げてくれた。
 歩きながらメモを確認すると本のタイトルの隣にわざわざ書架の番号が書いてあった。また、上から順番に読もうと一番上に書かれた書架に向かった。借りられていないといいのだけど。

 ◇  ◇  ◇

 八塚君に勧められて読んだ本は五冊になった。
 読み始めたころは私が部屋で読書しているのを見たお母さんが間抜けな顔をして驚いていたっけ。委員会の課題のためだったはずがすっかり本の魅力にとりつかれてしまっている。ある意味、図書委員の鑑に一歩近付いたともいえるだろう。
 また一冊読み終わって本を閉じた。ブレザーのポケットから取り出したメモに書かれた最後のタイトルに線を引いて消した。
 八塚君に勧めてもらった本はこれで最後だったから、今日はまた他のおすすめを聞こうと思っていたのに、閲覧スペースを見ても八塚君の姿はない。一昨日から図書館に姿を見せていない。学校を休んでいるのか、図書館にこられない事情があるのか、連絡先も学科もクラスも知らない私にそれを知る術はなかった。こんなことなら、冴が借りた学生証をもっとちゃんと見ておくんだった。そうすれば、学科とクラスくらいは分かっただろう。仲良くなったといっても図書館の中だけの関係、『読書部』の部員程度の脆い関係だったのだと思い知った。なぜもっと色々聞いておかなかったのだろう、どうして今の関係で満足してしまっていたのだろう。機会はたくさんあったはずなのに。
 後悔してもどうしようもないと分かっていても物足りなさが胸の辺りで燻ってどうしようもない。
 つまらない。そう初めて感じた。これまでどんなに人が来なくても静かな図書館にいるのは苦にならなかったのに。飯田さんがここで溜息の出血大サービスをしていた気持ちがよく分かった。

「陽香!」

 勢い良く駆け込んできた冴に顔をしかめる。冴は気にすることもなくそのままの勢いでカウンターに乗り出してきた。ここ、図書館なんだけど、と文句を言っても聞いていない。一体、何をそんなに焦っているのだろう。

「八塚君、来てる?」
「しばらく見かけてないけど、どうかしたの?」

 落ち着いて聞いてと言われたけど、落ち着いた方がいいのは冴だった。私が頷くと、冴はひとつ深呼吸をして話し始めた。

「八塚君、転校したんだって」
「……は?」

 何を言われたのか理解できなくて口を開けたまま固まってしまった。冴がまだ何か喋っているけど全く頭に入ってこない。
 転校か、それなら図書館に来ないのも当然だ。なにせ、もうこの学校の生徒じゃないんだから。脳が物分かり良く理解したつもりになっている。物語の中ではよく見る言葉も現実になると急に耳馴染みのない言葉に変わる。それに、冴が何で私にそれをそんなに慌てて教えに来たのかも分からない。

「なんで、私に言いに来たの?」

 自分でも驚くほど、抑揚のない声が出た。落ち着いている訳じゃない、証拠に鳩尾の奥が気持ち悪いくらいぐるんぐるんと回っている。

「なんでって、この前八塚君と仲良さそうにしてたから。知らなかったら教えとかなきゃと思って」
「そっか、ありがとう」

 言葉に合う表情をする自信がなくて顔を伏せた。意識的に表情を作るのがこんなに難しいなんて知らなかった。大丈夫? と聞いてくる冴に頷くことしか出来ない。
 金木犀みたいなのは私じゃない、八塚君の方だ。折角仲良くなれたと思ったのに、もっと面白い本を教えてもらおうと思っていたのに、読書の楽しさを教えてくれたお礼もしていないのに、いきなりいなくなってしまうのは反則だ。

「騒がしいと思って出てきたらなにー? カウンター係がそんなんじゃ仕事にならないわ。あ、そうそう陽香ちゃんに預かり物があったの」

 呑気に現れた飯田さんが渡してくれたのは二つ折りにされた紙切れだった。開いてみると八塚君の文字で英数字が並んでいた。すぐには何を伝えたいのか分からなかった、少し考えて特定の本を示しているのだと分かった。しかも今回はご丁寧にページ数も指定してある。冴も覗いてきたが、何それと呟いて顔をしかめていた。普段から図書館に通っていてもすぐに分からない代物を、殆ど図書館を利用しない冴が分かるわけがなかった。
 カウンターを飛び出してメモに書かれた書架に駆けた。冴が私を呼んだけどそんなことどうでもいい。それより今はこの暗号の意味を知りたい。
 目的の書架の棚には雑学関係の本が納まっていた。背表紙の下の方に貼られた番号を確認しながら指定された本を探す。指定の回りくどさにイライラが募る。上の段を左から右に、その次の段を右から左に、目が回るんじゃないかと思うくらいそれを繰り返した。

「あった」

 ようやく見つけた本を手に取る。花言葉の本だった。ここに来たときに既に違和感はあったけど、わざわざ遠回しにこの本を探させる理由も分からない。ページを捲っていくとひらりと紙が落ちた。


――ごめん 直接伝えられなくて 転校するなんて改まって言うのも恥ずかしくて 話せて楽しかった ありがとう  八塚真弘


「それくらい、直接言ってよ、バカ」

 本の開かれたページの「金木犀」と言う文字が目についた。花言葉は、謙遜、真実、陶酔、初恋、だそうだ。このページにメモを挟んだ理由は分からない。でも、ただなんとなく選んだとは思えなかった。メモにはメールアドレスや電話番号、引っ越した先の住所なんて気の利いたものは書いていない。
 本を閉じて元の場所に戻した。そういえば、私はこういった本は読んでいないと気づいた。小説もいいけど、時々はこういう辞典や雑学の本もいいかもしれない。
 カウンターに戻ったら冴の質問責めに合うだろう。謎のメモを見ていきなり飛び出していったのだから当然だろう。本当は追ってくると思っていたから、追ってこなかったのが少し意外ではあるけど、飯田さんが気を利かせて引き止めてくれたのだろう。飯田さんはそういう気の回せる素敵な女性だから。冴にどうやって話そうか考えながらカウンターの方へ歩き始めた。

 あとで聞いた話だけど、八塚君は飯田さんには転校の話をしていたらしい。そして、私が彼の転校を知った時にあのメモを渡して欲しいと預けたのだそうだ。飯田さんは楽しそうに笑っていたけれど、こんな青春なら今回限りにしてもらいたいものだ。

 ◇  ◇  ◇

 私の好きなもの。
 図書館が好きだ。特に学校の図書館がいい。もちろん本も好きだ。
 貸出カウンターから図書館を見渡すのが好きだ。ここにいる私はこの図書館の管理者なのだと思えるから。
 ここで、書架から本を選んでいる人、閲覧スペースで友達とノートを広げて勉強している人、カウンターに貸出や返却の申請にくる人、思い思いに図書館を利用している人達を感じているのが好きだ。小さな話し声や響く足音、ページを捲る音、全てが私にとっていいBGMになる。
 そして、相談にくる人もいる。


「あの、すいません」

 声を掛けられ、文字を追っていた視線を上げた。カウンター越しに話し掛けてきた男子生徒は貸出や返却の本を持っていなかった。なんですかと訊ねると、彼は言いづらそうに視線を泳がせた。彼が言葉を発するまで私は根気よく待つ。何をしにきたのかは何となく分かるけど、それをこっちからは決して聞かない。それが私なりのルールだ。

「朝の読書時間に読む本を選びに来たんですけど、どれがいいか分からなくて、面白い本ってありませんか?」

 声を出して笑いそうになるのを堪えて、笑顔でとどめる。読書の楽しさを知る前の私と同じだ。さて、何を勧めてあげようか。

「漫画でもいいから、きみが普段どんなジャンルを読んでいるか教えてもらえる?」


 私は今日もここで本を読む。

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丞崎芽琉

 漫画やらアニメやらゲームが
 好きな所謂オタク
 だらだらゆるーく生きている

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